■2009年9月15日 東京新聞

頼義、頼朝 100年ぶり そろい踏み

赤坂氷川神社19日山車巡行

 十九、二十日にある東京都港区の赤坂氷川神社の本祭りで、源頼義と源頼朝の山車がそろって約百年ぶりに赤坂の街に「出陣」する。特定非営利活動法人「赤坂氷川山車保存会」が進める山車の復興事業で、一昨年の「翁二人立」、昨年の「猩々」に続く巡行復活となる。
 港区赤坂の赤坂氷川神社の例祭「赤坂氷川祭」が十九日始まり、平安・鎌倉時代の武将、源頼義と源頼朝の人形を載せた山車2基が豪快に赤坂の街を練り歩いた=写真(安岡一成撮影)。
 頼義は八幡太郎義家の父で、陸奥の安倍氏を討った武将。人形はよろいかぶとで弓を持つ。五月人形の名工、古川徳山が1846(弘化3)年に作った。
 頼朝の人形は鎌倉幕府を開いた後の姿。ひな人形の名工によって1849年(嘉永2)年に作られたが、約三十年前に現代風に修理された。
 頼義の人形は制作者や年代の分かる貴重な人形のため、今年、同法人が約二百五十万円をかけてレプリカを新調。巡行では、このレプリカを一昨年に復元した翁の台車に載せる。頼朝は昨年復元した一回り大きめの猩々の山車に組み合わせる。
 二基は、十九日は午後一時半に神社を出発し、子ども神輿と合流。二十は頼朝のみが午前十一時半に神社を出発し、神輿十五基と一緒に巡行する。夕方以降や雨天時は境内に展示する。
 赤坂氷川山車は二輪車上に三層構造になっており、江戸城の門をくぐるために最上部の人形を上げ下げできる江戸型山車。関東大震災や戦災時の空襲でほとんど姿を消し、赤坂氷川山車がわずかに残る。
 1911(明治44)年以降で巡行の記録はない。