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赤坂氷川神社の祭礼は、神社の宮神輿を氏子町赤坂21ヶ町の山車13台が警固の形をとって神領内を巡行しました。その情景は神社拝殿に納められている大絵馬(明治44年奉納・港区文化財指定)に見ることができます。「天下祭」または「御用祭」とは一般的に山王日枝神社・神田神社の祭礼を指しますが、赤坂氷川神社についてもそう呼ばれていいものでした。
山王・神田両社とともに、氷川の山車も「江戸型山車」と呼んでいました。「二輪車の上に三層の構造物がある。この三層部分の最上部は人形の部分であり、つぎの層は水引幕にとりかこまれた枠で、人形はこの二層目の枠内を上下できるようにつくられる。 さらに、この人形・水引幕の部分は「折畳まれた」状態で最下部の部分から人形が「せり出す」という二段上下可変式のカラクリ(機構)をもつものである。」と説明しています。つまり、二段の台の上に人形がすわるようになっています。これは将軍の上覧に供するために江戸城の門を入るときの工夫であるといいます。城門をくぐるとき、人形をからくりで下げ、城門をくぐったあとで人形をせり出すというものです。
山車は江戸から東京の著名な神社の多くの祭礼に用いられましたが、今では「山車の多くは東京から主として関東地方一円に流出していった。その最大の理由は「天下祭」「御用祭」の廃絶である。・・・さらに関東大震災・大東亜戦争の災禍を経たため、流出を免れた山車の多くが失われ、現在では都内で山車の完全な姿を残しているのは、千住氷川神社の『静御前』だけとなった」(『江戸型山車のゆくえ』)と述べていますが、都内からほとんど姿を消していったという山車が、赤坂氷川神社には完全な形ではありませんが、9台も現存しています。
現在、各氏子町会のご尽力のもと、うち数台は完全な形ではないにしろ、展示されることもありますが、長柄・土台・車輪の部分が損壊し、また人形座、櫓梁等も充分には原型をとどめていないものも少なくありません。
今後、様々な関係機関のご協力のもと、この江戸時代から伝わる赤坂の財産を長期的に修復し、今一度、赤坂氷川神社の祭礼にて山車巡行の復興を目指し、後世に伝えていきたいと思います。 |
*港区教育委員会『赤坂氷川神社 御用祭と氷川山車』より
| 番号 |
現町名 |
旧町会名 |
安政2年 |
文久元年 |
明治44年 |
現在 |
| 1番 |
赤坂表一二町会 |
表傳馬町一丁目 |
猩々 |
猩々 |
猩々 |
猩々 |
| 2番 |
赤坂表一二町会 |
表傳馬町二丁目 |
猿 |
猿 |
猿 |
猿 |
| 3番 |
元赤坂傳馬町町会 |
裏傳馬町一丁目 |
翁 |
翁 |
翁 |
翁 |
| 4番 |
元赤坂傳馬町町会 |
裏傳馬町二丁目 |
源頼義 |
花籠 |
源頼義 |
源頼義 |
| 5番 |
――― |
裏傳馬町三丁目 |
鶴ヶ丘 |
関羽 |
関羽 |
――― |
6番 7番 |
――― |
元赤坂町 同代地 |
武内宿祢 |
神功皇后 |
武内宿祢 神功皇后 |
――― |
| 8番 |
赤坂見附会 |
田町一二三丁目 |
恵比寿 |
恵比寿 |
恵比寿 |
恵比寿 |
| 9番 |
赤坂田町三四五丁目町会 |
田町四五丁目 |
弁天 |
武蔵野 |
神武天皇 |
神武天皇 |
10番 11番 12番 |
赤坂一ツ木町会 |
一ツ木 魚店 大沢町 |
源頼朝 |
源頼朝 |
源頼朝 |
源頼朝 |
| 13番 |
――― |
西大沢町 |
恵比寿 |
恵比寿 |
恵比寿 |
――― |
| 14番 |
――― |
新町一丁目 |
諫鼓鶏 |
諫鼓鶏 |
諫鼓鶏 |
――― |
| 15番 |
赤坂新二会 |
新町二三丁目 |
武蔵野 |
翁千年 |
翁二人立 |
翁二人立 |
| 16番 |
赤坂新町五丁目町会 |
新町四五丁目 |
日本武尊 |
日本武尊 |
日本武尊 |
日本武尊 |
|
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