■2007年6月15日 産経新聞

赤坂に山車 復活を

氷川神社 保管9台 NPO法人奮闘…後世に

 港区赤坂の赤坂氷川神社に江戸時代から伝わり、約60年の”門外不出”で痛みが激しい「山車」を修復する計画が進められている。 現在、「二人立」と呼ばれる山車が修理されており、今夏にも作業は完了。9月の氷川祭で、高さ7mの”リニューアル”した山車がお披露目される予定だ。

 赤坂氷川神社に伝わる山車は、人形など豪華な飾り付けが特徴の「江戸型」と呼ばれるもので、明治時代には13台あった。 しかし、大正12(1923)年の関東大震災や戦火をまぬがれるための”疎開”で地方に流出したり、取り壊されたりしたため、山車の数が減少。
 戦後も、高さが7mもあり、電線にひっかかり危ないうえ、山車を所有する町会の財政的な問題も加わり、赤坂氷川神社にある倉庫のなかで放置されるケースが目立つようになった。
現在残された9台も老朽化が進み、なかには原形をとどめないものもあるという。
 江戸時代から伝わる山車を、もう一度”復活”させようという動きが始まったのは約3年前。赤坂の商店街が中心となる「赤坂祭り」を盛り上げる”目玉”にしようと、赤坂氷川神社の禰宜、恵川義浩さん(35)らが発案したことがきっかけだった。
 恵川さんは神社の跡継ぎとして4年前に会社を辞め、禰宜になった。「神社の裏に倉庫があり、子供のころから随分痛んだ山車があることは知っていた」という。何とか復興させたいものの、山車は神社のものではなく、町会が所有している。しかも、山車を持たない町会もある。
 このため、恵川さんは氏子の23町会をくまなく回り、町会長との話し合いを重ねた。「赤坂を盛りあげるために、一つにまとまろう」。恵川さんの熱意に、町会長も心を動かされた。
 町会長の一人、一ツ木町会長の出野泰正さん(59)も山車の復興を以前から望んでいた。「赤坂氷川山車は赤坂のまちづくりのシンボル。商店街、大企業そして住民が一つになれるのは赤坂氷川神社の9月の例大祭『氷川祭』とこの山車だ」と話す。
 昨年5月には氏子町会の賛同を得て「赤坂氷川山車委員会」を発足。地域全体で9台の山車をどう扱っていくか協議する組織の発足にこぎつけた。
 とはいえ、山車の修復には1台数千万円かかる。修復資金を集める、山車の魅力を後世に伝えるため、NPO法人(特定非営利活動法人)「赤坂氷川山車保存会」も設立。9月の「氷川祭」に向け、今春から「二人立」の修復に取り組み始めた。
 15日には、港区赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で、車の壊れた山車の上部分を組み立て、現状を見てもらうことで修復の必要性を訴えるという。同保存会の副理事長を務める恵川さんは「まず、山車を見てほしい。そして多くの方に賛同してもらいたい」と話している。
 問い合わせはNPO法人「赤坂氷川山車保存会」事務局℡3583・1935。