赤坂氷川山車 復興物語

赤坂氷川山車 復興物語

“小さな一滴が大河に”

平成16年(2004年)のある日。
赤坂氷川神社の惠川義浩禰宜は、幼少期に見た山車人形のことを思い出していました。記憶に蘇ったのは、半世紀は途絶えているであろう山車祭の匂いを細々と繋ぐべく、トラックの荷台に載せられている人形・・・。当時、栄華を極めていた赤坂の街とは対照的に、その顔がもの寂し気に見えたその理由は、「近年の祭りが神輿主体となり、山車の存在が人々に忘れ去られていた・・・」からでした。

「そういえば、あの山車の人形、確か神社の倉庫に・・・」
子供の頃の記憶を頼りに惠川禰宜は、しばらく誰の目も届かなかった神社の裏倉庫に向かいました。実に9本分にも及ぶ山車の台座や高欄(こうらん)、人形、飾り幕などが開け放たれた扉から姿を見せた時は、感激に浸ると共に、心に熱いものが湧き上がった、と後に語っています。
「江戸の粋で、貴重な文化遺産でもある山車祭を、何としてもこの地に復活させたい。未来のために、氏子地域の結びつきを揺るぎないものにするために、この祭りは必ず役に立つはずだ」。
しかし、長い年月手入れをされていなかった台座や人形は、祭りの巡行に耐えうる状態ではありませんでした。昔ながらの祭りを復興させるためには、可能な限り山車を修復するだけでなく、その維持管理の方法と、渡御に向けての体制整備も必要となってきます。
更には山車の保有町会だけでなく、24にも及ぶ全ての氏子町会の同意も必要です。神輿を挙げる為に限られた人と予算を集中させている氏子町会ですから、山車の復興について懐疑的な意見が出ることも十分予想されました。
その時、この状況を打開しようと先頭に立ったのが、地域の名士で神社の責任役員でもあった磯野正州氏でした。磯野氏は惠川禰宜の想いに共感した仲間と共に、氏子24町会との話し合いを始め、山車祭りの復興に向けて全力で動き出します。
そこから2年。自らの苦労や金銭的負担を惜しまないその熱意は街中に届き、全ての町会が山車祭りの復興に賛同。更には商店街や地域企業のご支援もいただきながら、平成18年(2006)9月、磯野正州氏を初代理事長に「NPO法人 赤坂氷川山車保存会」が発足しました。
この組織をNPO法人化した理由の一つは、惠川禰宜の想いでもある「町会の枠を越え、地域全体で活動する」ために。そしてもう一つは、「山車の復興、保存、そして巡行に必要な資金を集めるため」でした。
保存会が最初に取り掛かったのは、人形座に「翁」と「千歳」の二つの人形を持つ「翁二人立」を載せるための山車本体の復元でした。目標は翌年の赤坂氷川祭での巡行。多くの時間はありませんでした。
山車についての知識や経験が殆ど無い中、保存会の面々は「有識者へのリサーチ」を始めます。山車を愛する多くの専門家や愛好家の皆さんは、この真剣な動きに心を寄せてくださり、山車が主役だった江戸の祭、祭に関わる人の様々、また江戸型山車だけが持つ特徴や学術的な稀少性、さらには修復や保存の方法など、全て一から教えていただきました。
多くの力を下支えに、NPO設立翌年の平成19年(2007)年9月、実に80年以上の年月を経て赤坂氷川山車の巡行が実現されます。関東大震災や第二次世界大戦など多くの災難をくぐり抜け、赤坂の地に保存されていた山車。長い眠りから覚めた山車に、新たな命が吹き込まれた瞬間でした。

  • 赤坂氷川山車 復興物語
    「NPO法人 赤坂氷川山車保存会」設立総会
  • 赤坂氷川山車 復興物語
    赤坂氷川山車80年ぶりに市街を巡行

全てが順調に動き出した「NPO法人 赤坂氷川山車保存会」でしたが、誠に残念なことに、悲しい知らせが相次ぎました。陣頭指揮で保存会を引っ張って頂いていた磯野正州理事長に続き、惠川禰宜までもがご逝去されてしまったのです。この時ばかりは誰もが「山車祭り完全復興への流れが途切れてしまう」と危惧し、不安で一杯となりました。
その時に立ち上がったのが、磯野氏と同じ神社の責任役員で、保存会副理事長の石渡光一氏でした。ホッピービバレッジの会長でもあり、地域をこよなく愛する石渡氏は「9本全ての山車を復元し、9本の山車が宮神輿を警護しながら巡行する『連合渡御』」を目標に、公私を挙げてこの保存会の中心に座り、流れを繋いでくださいました。
石渡氏のご尽力のおかげで、保存会は人材や資金、そして組織もより一層盤石なものへと発展し、支援の輪もますます拡がっていきました。時期を同じくして港区からは「山車復興=地域の活性化」にも繋がると、「赤坂氷川山車復興事業」に対し全面的なバックアップもいただくなど、保存会に活気が漲ってきます。
石渡氏の体制の下、修復作業も順調に進みました。山車本体や人形、飾り幕など一つずつ丁寧な修復が続き、NPO発足から10年目の平成28年(2016)には、9体の人形全ての修復が完了、更には拡大していく巡行・展示に耐えうるために必要な、人形のレプリカや飾り幕の制作にも取り掛かることができました。

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    修復作業
  • 赤坂氷川山車 復興物語
    修復された9体の山車人形

次々と蘇る「赤坂氷川山車」。お祭り以外で山車に触れていただく機会も飛躍的に増えてきました。平成30年(2018)には国際医療福祉大学の開校に伴い、青山通りに面した大学入口横に赤坂氷川山車の常設展示場を建設していただいた他、令和3年(2021)には赤坂氷川神社境内に常設展示場が完成、また令和7年(2025)には赤坂二丁目にも山車の常設展示場が予定されています。
まさにこの赤坂氷川山車が、地域のシンボルに成り得るまで発展した証とも言えます。

  • 赤坂氷川山車 復興物語
    国際福祉大学 常設展示場
  • 赤坂氷川山車 復興物語
    赤坂氷川神社展示場

平成が終わり、元号が令和になった最初の年(2019)。保存会存続の危機を救い、より太く、より大きな流れに導いてくださった二代目理事長・石渡光一氏がご逝去されます。その訃報が届いた日、大きな悲しみに暮れました。保存会の活動がここまで拡大できたのは、石渡氏はもとより、御霊となられた3人のリーダーたちのご功績に他なりません。
今、活動をしている私たちは、先人たちのご努力に深く感謝しつつ、彼らと行動を共にした街の方々、そして温かくご支援くださった多くの方々に感謝の心を持ちながら、この大切な襷を繋いでいく義務があるのだと、深く感じております。

一滴の雫が大きな河と育ってきたことを感じる、令和2年(2020)。

出野泰正氏を3代目理事長に迎えた「NPO法人 赤坂氷川山車保存会」は、赤坂氷川神社社殿建立300年の節目となる2030年に、9本の山車が宮神輿を警護しながら巡行する「連合渡御」実現に向けて、活動を進めております。

今まで以上に、皆様からのより一層のお力添えを頂戴したく、保存会一同、伏してお願いを申し上げます。